■私的考察について■


ストーリーやキャラクターを語るにおいて、 自分にしか分からないような思い入れでもなく、同じ作品を見た人にそれなりの共感を 得られるものが(自分としては)好ましいと思うので、 できる限り“感想”的なものは抑え目にしておこうと心がけているつもりです。
 データは作品を研究するとか、もっと知りたい時には楽しいものです。 でも、作品解釈で時代の背景、作者の生い立ち、スタッフの経歴、 撮影の事情などを書かれてしまうと作品の中身そのものが見えにくくなる気がします。
 例えば映画の中で、登場人物のとても印象に残った素敵なしぐさが あったとして、 その俳優がインタビューで 「あれは失敗を隠すために咄嗟に誤魔化しただけだったんですけど」 なんてコメントがあったりしたら・・・その俳優に関心を持つかわりに、 物語の人物は色あせてしまいます。
  映像の中に現れたものが「作品」であって、 そこから受ける印象は人それぞれだから面白いのでしょう。 作品の背景を知ってより深い見方・別の角度での面白さができたとしても、 それは2度目の楽しみ方であって、1度目を充分堪能してからのものではないかと。

 さて、前置きの前置きが長くなってしまいましたが、 ハカイダーをどう語りたいか、についてです。
『考察』のコーナーで設定に関する部分は、思いきり私的な解釈をやってみます。 と言っても、あくまでも映像からの情報だけでのハカイダー考というものです。 考えを固めるのに資料が根拠になっている部分もありますが、劇中の人物の行動、 セリフにそって解釈をしているつもりです。 原作やアニメもそれぞれに感想を持っていますし、 関連本なども少々読んだこともありますが、それに影響されないように・・・と。 まぁ、心がけです。
 特撮版ハカイダーには何故か特別な思い入れが出来てしまっていて、 文章が冷静じゃないなぁという部分が多いですけど。 同じ場面を見ても、皆が同じ解釈をする、あるいはその解釈で納得する、 とは思っていません。 それぞれの人にそれぞれのハカイダーがありますから。

  「キカイダー」という作品については、自分の中でも幾通りかのイメージがあります。 その中には設定が原作と交錯したり、あるいは「こうなら良いなぁ」という願望があったりしますので、 そういう語りもそのうちできれば。
 
まだ自分の中で「キカイダー」は1度目の堪能段階のようです。
(2001.2.6)


 







 








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